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4月5日、夥しい

もともと個人的な記事を書こうと思って開設したサブブログなのだけど、本日の記事はいつにもまして個人的な記事になる。

 

実のところ僕はちょっと異性にモテる。それも謙遜込みであって、たぶん客観的にみたらちょっとじゃない。どこの界隈に行って、どこのコミュニティに所属していても、その中の一人くらいは僕に強い関心を示す。年下がどうとか、年上がどうとか、そういう問題でもなく、満遍なくどのコミュニティにも一人は僕のことを好きになりうる人がいる。それで所属するコミュニティが多いのだから、異性関係は作ろうと思えばいつでも作れてしまう。

 

このことをたまに敬愛する友人のミヤワキと話す。二人で口を揃えて、「なんで彼女たちは僕なんだろうね」という話になる。世の中にはもっと「いい人」がいくらでもいるじゃないか。

 

第一に、僕は物凄くブサイクというわけではないだろうが、取り立ててイケメンに属すルックスはしていない。なんというか、「その辺の塾講師にいそう」のレベルのルックスである。身長はそこそこあるけど、スラっとはしていなくて、はっきりぽっちゃりしている。最近のトレンドの塩顔・マッシュ・細マッチョからは思いっきり逸脱している(髪型だけはやや近いのか?)。

 

第二に、僕はお金なんてほとんど持っていない。大学院生をしながら地味なライブ活動をしている手前、世の同世代と比較して圧倒的に財力に乏しい。まあ、腐っても京大卒だ。一瞬、学歴的に将来得られる給与の見込みが大きそうな気もする。だけど、僕は外資系やコンサルに就職したいわけでもないし、起業する予定もないし、株や投資で一儲けする元手もない。研究か舞台のどちらかがよっぽどブチハネない限り、僕は裕福どころか人並みの経済水準にさえ到達できない。それに伴ってライフスタイルもきっちり金欠仕様だ。多少値が張るプレゼントを人にあげたこともない。王将でギョーザをつけることを躊躇する(ならばなぜ大盛りにすることは厭わないのか!)。

 

第三に、僕はいわゆる人格者ではない。言葉がキツいと散々咎められてきたし、嫌いなものは嫌い。やりたくないことはやりたくない。アルバイトだって続かない。基礎的な社会性がさっぱりゼロなのだ。こと「人格」を評価されそうな場で、その採点基準を満たすような振る舞いはほぼできない。約束は破る。破ったことも忘れる。そして、ほとんど自分のこと以外に関心がない(ブログをいくつも書いている奴らなんて全員そうに違いない!)。おまけに精神的に安定しているわけもなく、例えば仮に僕が昨日自殺していたとして、ショックを受ける人たちは多いだろうが、「えええええ!!あいつが???」となる人間なんかこの世に一人もいないと断言できる。

 

そうだ思い出した、僕は平均的な人よりモテる代わりに、平均的な人の何倍も嫌われやすい人間だったのだ。どのコミュニティにいても、僕のことを嫌いな人は僕のことを好きな人よりも多い。あ、いや、そもそも、好きとか嫌いとか以前に根本的によくわからない、という人が与党だ。僕のことを知ることはできないと考え、あるいは知ろうとも思わない、そういうスタンスの人ばかり見てきたじゃないか。

 

そもそもミヤワキ、お前こそなんで俺と仲良くできるんだ。

 

まあ、無難に論理的に考えることにしよう(論理は常に無難だ!)。きっとある種の人々とって切実なそれを僕が夥しいほどに持っているのだろう。それはなんなんだろう。

 

僕が持ちうるものは何か、こういうことを考えるとき、僕は地元にいた頃のことを思い出す。小学校、中学校、高校のあの頃、僕には友達と呼べる人がほとんどいなかった。「友達」を仮に、コンテンツ抜きで関わり合える人間と定義するならば。

 

当時の僕の人間関係は、すべてコンテンツありきだった。小学生のころ、僕はみんなに勉強を教えてあげる人だった。給食を食べながるときは同級生にクイズを出し、珍回答が出たらそれを心底馬鹿にして笑いを取った。中学生のころ、僕は替え歌や変な絵をたくさんつくった。みんながそれらを見て笑った。高校のころは、僕は放課後、教室を貸し切って同級生に授業をする人になった(実は卒業アルバムにも掲載されている)。

 

いずれの時期も、僕はある程度教室の中心にいた。そしていずれの時期も、ひとたび学校を出ると僕は一人だった。僕の提供する話題を、笑いを、学びを食べた同級生たちは散り散りに帰っていく。彼らはみな満足そうだった。当たり前だ。僕が提供するものは基本的にどれも質が高いからだ。僕は一人で帰路についた。翌日のコンテンツを考えながら。

 

そういう意味では、僕はいわゆるスクールカーストに属していなかった。限りなく部外者、あるいは教員、もしくはたまの芸術鑑賞会とか、講演会でやってくる愉快な大人、それに近い立場だった。同級生との関係の中に対等性は一切なかった。それは学力が田舎においては多少ドン引きされるほど高かった事情もあるだろうし、僕が周囲を舐め腐っていた性格的な事情もあるだろうし、僕の人間的な部分の発達(とでもいうべきもの)が早すぎた事情もあるだろう。学校の授業や、部活や、講習や、みんながこなす宿題や、そういうものを思いっきりサボり散らかしていた事情もあるだろう。僕が彼らと共有できるものはほとんどなかった。

 

そんな僕に、いま、「彼女たち」は何を求めているのだろう。

 

「彼女たち」はやはり僕のコンテンツを食らいたいグルメなのか。それなら腹いっぱい食わせてやれる。カフカのライブを見に来い。僕の人生史上でも最も純度の高い小保内ワールドを見せてやるよ。長めの感想をくれるなら飯でも散歩でもドライブでも付き合う(僕は免許を持っていないので運転はしてほしい)。

 

あるいは、「彼女たち」は僕の人格的な部分に踏み込みたいのだろうか。言っとくけど僕は意外と人間臭いぞ。喜怒哀楽の全部が平均的日本人の十倍増しだと考えた方がいい。そこには切れ者の小保内太紀は存在しない。生物以外ならなんでも殴る僕がいる(もっと恐ろしいことに、ミヤワキはなんでも食べる奴だ!)。

 

さらにその奥にある未踏の激情に踏み込みたいのだろうか。その道は、あんまりおすすめはしない。野生の僕は、未だかつて誰も見たことのないそれなのだから。

 

さあ、お前はどうする。

というか、僕はどうしよう。

 

いつか結婚してえんだよな。創作者として結婚するのか、人間として結婚するのか、野生として結婚するのか、わからんけど。いずれにせよ、僕はフィクションを作る人間なんだから、僕ごとフィクションにはしないでくれよ、とは思う。この辺のことは、そのうちまた書こう。忘れるかもしれないけど。